「星海の飯塚昌明」と「古畑任三郎の藤原竜也」は同義?

小学校高学年のころ、古畑任三郎ファイナルに出てた藤原竜也がめちゃめちゃ好きだった。超かわいくて、どきどきしながら観てた。

低学年のころは、ナースのお仕事に出てた藤木直人がめちゃめちゃ好きだった。お顔が超好きだった。

 

どちらも言っちゃえば、星海の飯塚昌明とおんなじくらいのときめきを当時感じていたかもしれない。

たぶんこればっかりは、今観返しても絶対きゅんきゅんする!

 

そう思うと、飯塚昌明にはまったのって、タイミングもあったんだなって思う!

飯塚昌明にどはまりしたとき、つまり、はじめて生で星海をみたとき、つまりつまり、5周年の武道館に行ったとき。

…私は高校に進学し、幸運なことに多少のお小遣いを得はじめたときだったのだ。

星海を弾くいいづかさんを観て、えげつない程のときめきという名のダメージを受けた私は、欲望のおもむくままにCDを買いあさるようになった…!

そして、追加のお小遣い(=チケット代)を得るために「定期テストで学年〇位以内になったらチケット1枚分のお金をください」と懇願し、まじで泣きながら毎夜解けない化学や数学の問題集を解き続けた。そのおかげで、学年で下から10番目だったのが、学年2番までいった(ずっと2番で、最後まで1番になれなかった…)。

泣きながら勉強していた当時は、地獄のように苦しかったと記憶している。けど、あのときの「しんどくてもがんばる」が、そのあとの大学生活や、アルバイトや、今の仕事に確実に生きてくれたって、今ならちゃんと思える。

 

「しんどくてもがんばる」って気持ちをよりいっそう強くしてくれたのは、いいづかさんの人柄やそれまでの経歴を知ったことも大きかった。

はまっていくうちに曲を聴くだけでは飽きたらず、インタビューのたぐいも少しずつ追っていくようになった。

高校生ながらに「このひとって、ひとつのことを長く長く続けてきた方なんだ…!」って、内面的なかっこよさに強い憧れを感じた(もちろん外見や音楽のかっこよさにもめちゃめちゃ惹かれた。かっこいいの要素が沢山あって当時からわけわかんなかった)。 

 

当時の私はとにかく飽きっぽかった。その私からしたら、ほんとうに偉人よりも偉人だった。

私もなにかをがんばれるようになりたかった。

 

最近ギターをはじめた理由は、表面的には「死ぬまでに星海を弾けるようになりたい」だったけど、根っこの理由は「いいづかさんみたいにがんばれるようになりたい」だったんだな、

って今これを書きながら気づいた!(今かよ!)

 

考えごとが横道に逸れちゃったけど、

あと何年かはやく生まれていたら、私は藤原竜也さんとか藤木直人さんにはまっていたのかもしれない。

その人生もその人生で、きっとすごく幸せで楽しかったんだろうな〜って想像できる!

(いやだっておふたりとも今の姿も好みだし!複数推しの可能性がみえてきた!)

 

ただ、ありふれたまとめ方になっちゃうけど、飯塚昌明を好きになる道に進めてよかった!って心の底から思う!

星海やらノープレやらパッションやらマジカルストーリーやら慟哭やらエンドレスサマーやらやらやらやら……こんなにいろんなバリエーションに富んだ、キラキラしたときめきに触れることができるなんて、なんて素晴らしき日々なんだろうか。

毎日その場その場では苦いことが色々あるけど(今日だって!🔥😫🔪)、こうやって自分の人生をちゃんと長い目でふりかえってみると、これでよかったんだなぁって思える。。

綺麗事かもしんないけどほんとに思う。。