推しが守ってくれたもの

先日の日記に少し書いたけど、

「自分で選択していくと自己肯定感が高まる」

「自分で選択した機会が少ないと自己肯定感が低くなる」

と言われているらしい。

 

たしかに私は自分で選択した機会が少なかった(というか親任せにしていた)けれど、自分で明確に選んできたものもぽつぽつある。

 

GRANRODEOのライブにはじめて行きたいと思ったとき、そして実際にその気持ちを親に伝えて実際に行ったとき。

成人してからお金をやりくりしてどうやって遠征するか計画・実行するとき。

さかのぼれば、GRANRODEOやみな実ちゃんの曲にはまって、当時まだ知らなかった曲をどんどん聴きあさっていったとき。

飯塚昌明の名前が少しでもクレジットに入っている曲を調べまくって探しあさったとき。(うわぁ)

 

これはぜんぶ自分で選択してきた行動だ。

誰にこうしろと言われたのではなく、また、「こう行動しないとだめかも…」と周りからの印象を気にして取った行動でもなく。

親の影響でもなく、人から薦められたわけでもなく自分で出会って。

思えば、純粋に自分の感性だけで好きになったものだったんだなぁ。

 

だからこそ、曲を聴いているときやライブを観ているときに、自己肯定感が守られた状態というか、安全な状態というか、心がほわっと楽な状態で心地よくいられるのかもって思った。

感謝です。

 

日常を振り返れば今は自己肯定なんてあったもんじゃないけど、飯塚昌明をみて「わーーーーーーんかっこいい😭😭😭」って感じたり、飯塚昌明の曲を聴いてきゅんきゅんしたりする自分のセンスだけは、本当に生まれ持つことができてよかった。笑

↑こんなふうにして、推しにときめくことで自己肯定感を維持しながら、少しずつ日常生活でも自分を認めて過ごして行けるようになれたらいいなぁ。