ex.prototype

主に飯塚昌明さんについて思考する日記

無題

推し事というより自己観察メインのメモ

 

さいきんすごく元気だ

3月の後半にツアーが始まってから、(序盤はちょっと危うい日もあったけれど)ゆっくりと調子が良くなっていき、特に札幌公演を経たあたりから心も体もぐんぐん健康に戻ってきた

明確な変化でいうと、さいきん自己誘発性嘔吐をしていない(家族のつくってくれたごはんを罪悪感なく食べられる!うれしい!)

数ヶ月前にここに書いた日記を見返したら、死んだ方がましだなどと書いてあって、今の自分とはまるで別人でドン引きした

お前はよくこんなものを書き殴ってインターネットの海に放流したな(っていま書いてるこの文章も後で黒歴史フォルダ行きになるだろうな)

 

でも、ドン引きするような暗い文章だとしても、それを書いていたその時期に辛かったことは事実だから、自分で自分を否定しないために、小っ恥ずかしくても消さずに残しておく…

なんというか、いま前向き期間の真っ只中にいるからといって、ネガティブだったときの自分をなかったことにしようとするのは違うと思う

 

いいづかさんがきのうのお誕生日イベントで、そのままのみんなでいてね!生きてるだけでいいよ!頑張らなくてもいいよ!という旨の(正確な言葉選びは違うかもだけど)言葉を客席に投げかけてくれて、呆然としてしまった

 

イベント自体が最高に楽しくて幸せだったと同時に、いいづかさんがくれた言葉達が自分にすごく大きく響いて、帰りの上野東京ラインの中で目に涙を溜めてはタオルハンカチでこっそり顔を拭き続けるやつになってしまった

恥ずかしながら書くと、自分がずっと誰かに言われたかった言葉だった

 

けれど、軽率に弱音を吐いてしまう私より、弱さを見せずに、いつでもとびきりに優しくいてくれるいいづかさんこそ、本当の本当に繊細な方だと思う…(勝手な決めつけをしてしまって良くないけれど…)

優しさや思い遣りというものは、自分とは立場の異なる人達のことまで細やかに、丁寧に気にかけることができるから生じるものであって、それはひっくり返せば、心の繊細さとも通じてると思う

だからこそ、推し様に心配をかけず、傷つけないファンになりたかった

 

昨日に限らず、いいづかさんはいままでもライブのたびに沢山たくさん客席に向かって「大丈夫!」って言葉を何度もかけてくれていた

なのに、私はいままでその優しい宝石のような言葉をその場では嬉しく幸せに受け取ったつもりでも、心の底では100%信じきることができなかった

どんなに「大丈夫」って言ってもらえても、自分は大丈夫なんかじゃないどうしようもないやつだ!って、せっかく届けてくれたキラキラした言葉達を心の最下層で跳ね除けてしまっていた

大好きな人がくれた言葉を信じることができなかった時期は不甲斐なくてつらくて悲しかった

 

それでも、干支が一周するほどの月日を経て、時間はかかってしまったけれど、まじで私は強く明るくなった

少しずつ少しずつ「大丈夫」を、素直にありがとう!って両手で受け取って、心の奥の方にしまっておけるようになってきた

 

ゆっくりだけれど、ちょっとずつ大丈夫になることができてきた

 

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きのうのイベントのライブパートをみている最中は、楽しさや嬉しさや感慨深さが全て混ざりに混ざって、ひたすら頭の中に「私の人生飯塚昌明(泣)」という言葉が浮かび続けた

いいづかさんのギタリストとしての姿を、残りの期間も最後までずっとずっとみていたいな というか みていくんだ って改めて信じさせてもらった感じ…!!!

 

そのうえで、大好きだからこそ、(言葉選びがストレートになっちゃうけど)いいづかさんが居なくても、会えなくても、ライブに行けない期間も、簡単にメソメソすることなく自分を信じて日々を過ごしていけるようになりたい!というか なるんだ〜!とも思った

このままの私でもいいのかもしれないけれど、やっぱりより良くなっていきたい!

 

delight songで右手を掲げていた姿が素敵だったな

 

寝!