絵が好きなのか嫌いなのか分からない

ヤングギターの最新号で、いいづかさんがあの曲をコピーしたなあ、この曲もコピーしたなあ、あれもこれも…と語っていたことが印象的だった

 

やっぱりいいづかさんがギターに対して抱いている楽しさやときめきや好きの大きさって段違いなんだなと感じた

 

私は女の子の絵を描くことが好きだった 多分

が、ここ何年か、というか思い返せば小中学生のときから、絵を描くことに対して明るい好きの気持ちだけじゃなくて、全然上手く描けなくてイライラしたり、他の人の絵と比べて自分の絵が下手すぎる現実を目の当たりにして描くことが嫌になったり、

そういった負の気持ちを感じる時間もたくさんあって、次第にあまり描かなくなった

今年は、小学生もしくは幼稚園生だったころから遡って、もはやいちばん何も描いていない

 

いいづかさんが色んな曲をコピーしていたなって語っている記事を読んで、ああそういえばわたしも小さいころから手当り次第になんでも模写していたな って思い出した

なぜか5歳のころに磯野貴理子さんやミハエル・シューマッハさんを模写した紙が実家に残っている(我ながら意味がわからない…)

 

何を言いたいかというと、ようはおいちゃんのコラムを読んで、間接的に、わたしも絵描くことが好きだったな と思い出してしまった

 

はっきりいって、なんだかこそばゆいけれど絵を描きたくなってしまった

 

ギターを練習するようになって、薄々気がつき始めたことがある

正直わたしには音楽の才能はあまりなさそうなこと(それでも上手い下手関係なくやりたいから続けていくけれど!&そもそもギターを弾いたトータル時間がまだ少なすぎるけど!)と、

一方で、もしかしたら、あのころ苦しみながらも無意識でそれなりの時間と集中力を割いてのめり込んでいた絵は、自分にわりと向いていたんじゃないかということに

 

あれだけイライラしたり苦しんだり嫌になったりしたけれど、それでも描いていて楽しい瞬間もたくさんあった

その貴重な楽しさや喜びこそ、絵を描くことが(本当に大好きな人には到底及ばない生半可な熱量だったとはいえ)一応それなりに好きだった証拠なのかな

 

とてもとてもガッカリするくらい絵の才能なんてなかったけれど、ただもうちょっと、あのとき感じたイライラや人に言われた悔しい言葉を引きずらずに、あと少しだけ自分の気持ちに素直になって続けていれば、と考えてしまった

 

漫画家になりたかったわけでもアニメーターになりたかったわけでもなく、美大に行きたいと一度だけ言ってみたときも経済的な理由を言い訳にして一瞬で諦めたし、大層な夢とか一切なかったけど、ただただ自己満足の世界で自分が可愛いと思う女の子を描きたかった

それでごく稀に納得のいく可愛い女の子を描くことができちゃったりして、自己満足して午前四時にひとりでこっそりルンとしたり

そんな時間が懐かしくなった

 

今ぼんやり女の子を描きたいなあ って思う

けれど、かといってこの日記にけして決意表明の意図はないので、思うだけで結局描かずに今の気持ちを忘れていくかもしれない(それに今はまずギターを練習したい)

 

ただそれだけのメモ。

 

 

上記とは一切関係ないのだけれど、意図せずに人を傷つけてしまうことが本当にこわいし辛い 今日はそんなことなどを考えていた

 

あと、統合失調症ではないのになぜだか去年から処方され続けていた、統合失調症向けのお薬を全く飲まなくなってから一ヶ月ほど経った

またもし調子が悪くなったら必要になるのかな やりたいことは元気なうちにやっておこうね!