行ってきた!楽しかった!
デッドラギターソロとセツナのキスは後にしてコーラスLOVE
パッションも良かった〜〜〜〜アウトロぐっときた
飯塚さんの体型とライブ中の動きってほんと少女漫画か乙女ゲーの男子よね…遠目で追いかけても眼福であった
ライブ後は北海道から来た友人とわたしの地元駅で魚を食べ、ハイボールを飲み、等身大パネルのいる部屋に泊まってもらった
翌朝6時前に羽田空港の保安検査場まで見送ったあと8時半に在宅勤務を開始した
友人も地元に帰ったらその日のうちに出勤するとのことで、お互いになかなかの強行突破で今ツアーを走っているなと感じた
■以下音がでないにっき
今回行って帰ってきて翌日を迎えることに力を使い果たした
全通、体力とメンタルの維持を試されてる!
高3くらいからこの時期になると露骨に抑うつモードに入りやすくなるので今年はせめてあと1ヶ月持ってくれ〜と神頼みしてる
けれどそう考えるほど薬を飲むタイミングが先延ばしになる
好きなことを楽しむだけじゃなくて生活の基盤である仕事をいちばん見失わないように居なくては居なくては、という思考が脳内でめっちゃぐるぐる駆け巡る
けれどそう考えるほど日中の業務の集中力が落ちる、信用を失いたくないヤバイ、なのに進まない
焦ってるときほど小さな作業をひとつずつ粛々と片付けていくのが結局いちばんはかどる…
わたしを拾ってくれた飲み屋のマスター(おじいちゃん)と去年のたぶんいまごろ2人で開店前にぼけーっとしてたら、なんの脈絡もなく「生きてればそのうち良いことがあるからはるちゃん頑張って生きてこうね」と言われ、そのときは「突然どうした」と半笑いで流したがいまさらよくその言葉を思い返す
「良いこと」とは??
ライブを観ること、音楽を聴くこと(ここ数日は中山美穂の遠い街のどこかでにハマっている)、仕事を全うできること、人と会話したあとに1人反省会を開かなくて済むこと、吐かずに食事を摂れること、ふとんから出られること、入浴できること、洗濯できること、電気を消して眠れること、障害の程度が軽くなること、家族・友人・推し・知人が生きていること
わたしの場合は自身を取り巻く環境に問題はなく、ただ思考回路に制御できない不具合があるだけである
結局は自分のなかで何と定義するか・どこに境界線を引くか次第だ
マスター本人は今年うん十年ぶりに家族との再会を果たし、去年の自身の言葉をしっかりと回収していた
昨日「最近寝てないでしょw」とへらへら言われ、今回も適当に笑って返しつつ内心「このじいさん何者なんだ」と改めて疑ってしまった
くぴぽのまきちゃんが書いてくれたお手紙に「ほしうみちゃんって繊細そうに見えて無人島でなぜか最後の1人まで生き残ってそうな感じがするよね」とあって超納得した
"わたし"という物体を過不足なく定義された感があった
自分も今年1度くらいは誰かに手紙をしたためたいと思い続けたまま年末が近づいている
けれどそう考えるほどに便箋を取り出す難易度は上がる