もーーーーーーーーーこれほんっっっと痛いほどわかる!!
どんなに好きでも、ライブ中に推しの名前を叫べない。 ∬´∨`∬<またね〜って客席に手を振ってくれても、振り返せない。心の中でパタパタ小さく振り返す。ハートつくるなんてもってのほか!どんなに脳内ハートまみれでも。感想を書くときも、絶対に💕とか使えない。
私ごときが推しにそんな気安く距離感をつめてしまうなんて畏れ多すぎるばかやろうという心境です。
これは、推しへのときめきを文字にしたためるときにも同じ問題が発生します。
気軽に「飯塚さん」と書けない(今こう書くのですら緊張感をともなう)。
苗字+さん呼びなんて何様!!みたいな……
かといって「飯塚さんの〇〇が〜」とか「〇〇してたときの飯塚さんが〜」みたいにちゃんと主体を明記しないと、自分で感想を見返したときに露骨に不自然な文章になってしまいがち。
この微妙な葛藤のなかで打ち出した策が、「いいづかさん」と書くことでした。
私にとっては、「飯塚さん」より「いいづかさん」とつづったほうが、なんていうか、マスコット感がでる。そうすると、自分が動揺しないで済むほどほどの距離感を保つことができて、ほっと落ち着いてときめきを整理できるのです…🐹
だから、私のなかでは「いいづかさん」がベストな呼びかただけど、そのうえであえて「飯塚さん」と書くときもあります。
これは、距離感をつめてでも推しご本人に伝えたいことがあるときです。なので、それなりの覚悟をして書いています。いいづかさんのメロイックと一緒です(殴られそう)。そして、やっぱり書いたあとになって「これ何様なん…泣」と悔やんで黒歴史が増えることが多々……
あとは単純に、冷静にまじめに?書きたいとき。
ほかには
「飯塚昌明さん」と書くのは、かしこまりすぎて緊張感が大きくなってしまうから、よっぽどじゃないと書けない。「娘さんを僕にください」みたいな心境になってしまう(ハ?)。逆に言えば、「娘さんを僕にください」と同じくらいの気持ちがあるときだけ、深呼吸をしてこうやって書く。手紙の宛名を書くときが、きっとこれからもいちばん緊張します。
「飯塚昌明」と書くときは、推しの存在を概念化・神格化したいとき(うわぁ)だと思う。「イエス・キリスト」と一緒!私にとっては推しはどんな偉人よりも偉大な偉人なので、これはわりとまともな考えかた(?)ではないでしょうか…………
■余談
https://twitter.com/hsum__/status/1372874426971131915
https://twitter.com/hsum__/status/1372879094157733888
このあいだのライブの感想をしたためたときは、ぼっち遠征のくせにありえないくらい酔っ払っていて、「いいづかさんさん」と書いてしまった。おたく失格!ファン失格!!
こんな誤字になった理由は、感想を書くときに「飯塚さん」と変換したあとに「ハ…!」となって「いいづかさん」に書き直したはいいけど、最初に書いた「飯塚さん」の「さん」の部分を酔った手でうまく消せなかったと思われる。
もう!!酒は悪!!酒は罪!!
ただ、多少酔ってないと、↑こういう一連の葛藤でぐるぐるして、ときめきをパッパッと迷わず発散できないのも事実…むずかし〜!