脱プロトタイプ

ブログ名を変えました。変な名前だね。笑

3月くらいになったらまたトキメキの記録を遺していきたいと思っていて。プロトタイプのフェーズを終えて本番移行します(今はまだバージョン0.9)。

 

以下日常数点(暗め)

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持病の症状が生活に支障を来す勢いで悪化しているため、タイミングを見て実家に戻れないか交渉中。「悪化」と書くと一見こわいかもしれないけれど、今の私の場合は一日中ずっと苦しいというわけではないので、なんだかんだ大丈夫です。

「しんだほうがましだ」というフレーズが脳内で自動再生され続けても、ラジオで推し様の声を聴いたり、ブログを読んだり、推しちゃんの自撮りを見たりすると、ほんとうにほんとうに生き返ります。希死念慮の詰まったカセットテープの再生を止めてくれるのはあなたたちの存在です。みんなほんとうにありがとう。

推し様のお誕生日が間近な今週ですらこんな調子で不甲斐ない。推し様や推しちゃん達からたくさんの楽しさ嬉しさ幸せをもらっているのに、些細なことですぐにしんどくなってしまい、そして症状が出る日常から抜け出すことができなくて、ほんとうに申し訳ない。いつも心の底から思っています。ごめんなさい。

けれど、「そうなってしまうのは病気だから仕方ないんだよ」という言葉に触れて、今もどかしい状態にある自分自身をまずは素直に認めてあげようと思いました。だから正直に書きました。

正直に書いてみたら、心の中に溜まっている膿が少し溶けました。

 

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1ヶ月くらい図書館で暮らしたい。わたしは言語が好きだ。人工言語も好きだけれど、自然言語が特に好きだ。最近はアラビア語ヘブライ語・イディッシュ・ギリシャ語を1日数分ずつかじっているのみだけれど、歯磨きしたり水を飲んだりするときと同じ感覚で自然と毎日触れている。

自然言語が好きなら人工言語もいけるのでは?」という興味で今の仕事を始めた。実際にセンスはあるようだった。わたしが精神を病みながらもお客様から指名を受け、ご依頼になんとか応え続けることができているのは、この仕事がわたしの脳みそにピッタリ合っていたおかげなんだろうな、と自己肯定感が低いながらに実感している。他の職種で今の病気になっていたら、もっと取り返しがつかない壊れ方をしていたかもしれない。

だから人工言語も楽しいのだけれど、その上でやっぱり自然言語の方が恋しいな〜と、ここ数年にわたって人工言語を味わったことで、自分のほんとうの気持ちが分かった。元からネガティブな性格ではあったけれど、大学時代に図書館で色々な自然言語やら言語学の一端に触れていた頃は病気にはなっていなかったし。

1ヶ月くらいお休みをいただいて、図書館でゆるゆる好きな本を読んで過ごしていれば、症状が軽くなりそうな気がするんだよな〜〜。

当面は湯船で『思考と行動における言語』を読み進めることを代わりに楽しみます。この本は一般意味論に関する書籍なのですが、全人類が学んで損のない理論なのでめちゃめちゃオススメです。「地図は現地ではない」というフレーズに何かを感じる人はぜひ。

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